4歳の春突然腎機能が低下した、
長期の入院生活は本当に辛かった、病室の窓には元気に遊んでいるみんながいた
壁一枚でこんなに世界が違うことに悔しさしかなかった、とにかく我慢したし親や兄弟の前では元気にした、ふざけたりもしてみせた。
でも心は、なんで僕だけがなんで僕だけがなんで僕だけがなんで僕だけがなんで僕だけが。
腎臓が一つ全く機能しなくなっていた、心臓に水が溜まるようにもなった
髄膜炎にもなった、高熱が何日も続き手足がぶるぶる震えた
父だけが先生に呼ばれ、腎臓を救うか脳を救うかどちらかを選択してくれと
父は一人で決断した、脳をお願いします。
それから水分制限をするようになり5歳もまた我慢の日々
氷を口にふくみ辛い検査にも1人で臨んだ
看護師さんがお風呂上りに内緒でくれた50ccのコーヒー牛乳の味は今も忘れない
小学校二年生から普通学校に通うことができた
担任の先生は僕のお腹の中に機械が入っているとみんなに説明した
だから暖かく見守るようにと
僕みたいな生徒はそうはいないから誤解しているようだったが
僕はそれを修正しようとはしなかった
担任の先生なりの優しさを感じたから、だから我慢した
我慢をすることは慣れている
教室の匂いや机を並べてみんなと同じ給食を食べたり同じ運動着を着ること、それだけで本当に幸せだった。
病院の先生との話しで体調を考慮し体育の授業はほとんど見学した
そのことでいじめにもあった、ずるい、病人は病院に帰れ、
帰り道一人泣いた、家が近づくにつれ涙を手でぬぐい明るく玄関を開けた。
病気をしなければ介護の仕事には就いていなかった
それは先生や看護師さんが見守ってくれていたから
僕も今おじいさんやおばあさんをそっと見守っている
忙しく仕事をする中で、2ヶ月に一回の通院の日だけは病人の自分に戻る
でもなぜか闘病生活のあの我慢の日々を忘れようとは決して思わない
それどころかキラキラと僕の心の中で輝いている、
僕 は誰もが経験することのできない日々を体験できた、病気になったことで何倍もの優しさをいろんな人からいただけた、同じ病で戦った病室のみんなとも出会う ことができた。いじめは本当に辛かったけれどそれでも僕のそばに残ってくれた友もいた、その友達とは今でも固い絆で結ばれている、普通の日常生活が人一倍 幸せに感じられるから毎日小さな幸せを見つける回数が多い
闘病を通して我慢強さ、忍耐力、人を喜ばせる大切さを養うことができた
今僕はお風呂上りに2人の子供と存分にコーヒー牛乳を飲んでいる
子供ができて解る、あの時父が絶望の中一人で決断した辛さを、強さを
母が僕に腎臓をくれなければ今の生活はなかった、僕と母のお腹には今も同じ傷跡がある
この先母が老いて死んだとしても骨しか残らなくても僕のお腹の中ではなおも母の腎臓が生き続ける。
本当にありがとう






















